会社の掟 (会社員のバイブル)

会社で働く中で、知っておくべき事をつらつらと…。

職人の料理

こんばんは、tsubuyakioです。

 

今夜は料理のお話。

 

料理といっても、本当の料理ではなく、仕事の上での料理のお話です。

 

会社で仕事をしていると、いろいろな資料を作るように言われることがたくさんありますよね。

資料作成にはいくつかのステップがあり、それなりにそのステップを押さえておけば、あまりハズレのない資料を作って提出することができます。

今回はそのステップのセオリー的なお話ではなく、僕自身が感心させられた資料作成のお話です。

 

とあるテーマを与えられ、いろいろな資料からデータを拾ってエクセルで表とグラフを作り、パワポで資料を作成します。

ここで手に入るデータは、誰がやっても当然同じものが数字として揃いますが、その数字の料理の仕方にはうまい下手があるということです。

 

これは、パワポのテクニックがすごくて、見栄えの良い資料を作れるとか、そういうことではなく、あくまでも切り口が優れているということです。

 

同じ数字を扱っているのに、僕が作った資料を1時間くらいの時間で全く別の視点を盛り込んで資料を作ってくれる上司がいます。

その資料を作ることとなった目的から考えて、これが良いだろうと自分なりの切り口と解説を盛り込んで資料を作るわけですが、「ちょっと時間ください。構成を練り直してみます。あとでまたみてください」と手直し後に確認するように言われて1時間ほど待つと、すばらしい資料が提示されてきます。

 

「ああ、確かにこういう切り口でまとめた方が、目的から見て理解されやすいな」というような資料に仕上がっていて、ただただ感心させられるという状況です。

 

僕自身も資料を作る上では目的に照らしてわかりやすいように作ったつもりでいるのですが、彼の手にかかると、それが一層理解しやすい形に並べられており、ぐうの音も出ないほどの完成度になっているという感じです。

 

同じ材料を使って料理しているのに、出来上がったものは随分とレベルの違うものに仕上がる。

これは器が綺麗とか、彩りが良いとか、そういうことではありません。

 

別の次元の味がする という感じでしょうか。

 

こうなると、「今度は手直しされない資料を作ってやる」なんて思わせてくれる素敵な上司です。

 

まぁ、資料作りにそんなに時間を欠けても仕方がないという見方ももちろんありますが、時間をかけずに最適な資料が作れれば、もちろんそれに越したことはないわけですよね。

 

次は頑張りたいと思います!

GOALを見据えて仕事をする

みなさんこんばんは、tsubuyakioです。

今日はGOALについてのお話です。

 

何事もに目的は重要。

仕事においては、それはもちろんのことだ。

与えられた仕事であろうが、自分で見つけた仕事であろうが、必ずそこにはゴールがある。

ゴールとは、目的であって目標ではない。

まずはそのゴールを正しく認識していることが重要。

ゴールが定まっていなければ、どこに向かって動き出せばいいかもわからなくなるし、どこまでやれば良いかもはっきりしなくなる。

方向性が定まっていなければ一歩を踏み出すことができないし、進んでいる方向が間違っていることにも気づかない。気づかなければそこに修正もないし、やり直しもない。

当然定まっていないのだから、ゴールに到達することもできないということになる。

 

なんだかこうやって書くとあたり前の話になってしまうが、自分で仕事をしていても、「あれ、これっってこういうことを目的にしてるっていうことであってるんだっけ?」みたいに迷うことだってある。

だから改めて言いたい、「ゴールは重要」。

 

仕事のできる人を見ていると、やっぱりこのゴールの捉え方が上手である。

取り組みとして迷いがなく、また横道に逸れることも少ない。それたとしてもすぐに修正がきく。

表面的な支持内容だけを言葉通りに受け止めて進んでいっていると、実は大きな間違いを犯していることだって時にはある。

(そういうのって、指示を出す方にも問題があることも多いけどね)

 

だから、今置かれている背景や環境なども視野に入れつつ、しっかりとゴールを定めることが仕事に着手する時に最初にやることになる。

これを怠ると、後で取り返しのつかないことになったり、できたと思って報告に行くととんでもない間違いを犯しているとそこで気づいたりすることも出てくる。

 

ゴールは大切。

しっかりと見据えて仕事を進めていきたい。

 

上司は最も身近なお客様

皆さんこんばんは。tsubuyakioです。

 

さて今夜は、最も身近なお客様についてのお話です。

そうです、それはあなたの上司です。

 

「顧客志向」というような言葉が一般的になり、「お客様のために何ができるか」を問われるようなビジネス環境になってきております。

 

もちろんこれは当然ですよね。

 

会社の売上はお客様が払ってくれたお金から成り立っていて、それ以外のものは基本的にはないからです。

 

会社の売上があがり、利益を確保し、そしてお給料が支払われる。

 

これがビジネスのそして会社員のルールです。

 

お客様がサービスなり商品なりのためにお金を払ってくれているからこそ、会社からお給料がもらえるのです。

 

だから「顧客志向」。これは当然のことですよね。

 

僕もずいぶん長い期間営業をしておりましたので、お客様に商品を紹介し、買っていただき、お金をお支払いいただくことを繰り返してきました。

 

そのために何度も通い詰めたり、色々と手を替え品を替えで提案をしてみたり、あるいは一緒に飲みに行って仲良くなったり、そりゃもういろんなことをしてきました。

 

この「お客様」ですが、当然別の会社に勤めている方で、頻繁に通うことができたとしても、せいぜいお会いするのは週に一二回のことですよね。

 

でも、上司は違います。

 

基本的には会社に行けば毎日顔を合わせ、色々と指示を出してもらったり、相談したり、あるいは報告したり。いろんなことで接点があります。

 

僕はある時はたと気づきました、「そうか上司は最も身近なお客様なんだ」ということに。

 

これは、上司を持ち上げていい気持ちにさせるとか、媚び諂って査定を上げてもらうとか、そういうことではありません。

一番身近にいて、そしてその人が何を考えているのかをきちんと理解し、それに応えていく必要のある人物。それが上司だということに気づいたのです。

 

「社内営業」なんていう言葉はすでに死語なのかもしれませんが、そういう意味合いではなく、上司が何を考えているのかを正しく理解し、適切なアクションをとり、タイムリーにコミュニケーションすることは常に必要ですよね。

 

これって、営業マンがお客様に対して行うことと実はそう大きな違いはないと気づいたということです。

 

毎日顔を合わせている上司の考えていることすら理解できない、あるいはそこに思いを馳せることもできない人は、多くても週に一二度しか顔を合わせないお客様の考えていることを知ることはできません。

 

ということで、「上司は最も身近なお客様」ということになります。

 

あなたは上司の考えていることを理解していますか?

上司が何故その指示を出してきているのか、理解していますか?

上司がどんな報告を持ってくるように希望しているのか、わかっていますか?

 

そこをしっかり掴まなければ、上司は満足してくれません。

自分の上司も満足させられないのであれば、お客様を満足させる事は到底できないと思います。

 

頑張りましょう。

前を向いて歩こう

日々仕事をしていると、どうしても近視眼的なものの見方をするようになってしまう。

目の前の仕事に集中すればするほど遠くが見えにくくなり、おかしな言い方かもしれないが、足元ばかりを気にするようになってくる。

 

そんなことは誰にでもあることだろう。

 

僕も会社に入りたての頃はよくあった。

何しろ足元に転がっている作業をこなしていくことを最重要課題だと認識していたような時期だったから尚更である。

 

足元ばかりに気を取られていると、自分が歩いている道が段々と中心からそれていっていることにもなかなか気づかない。

しっかりと日々仕事をしているつもりでいても、気がつくとなんだか脇道に迷い込んでいて、堂々巡りをしていたりすることもある。

はたと気づいた時には幹線道路はすでに見えなくなり、誰もいない細い道を歩いていたりするという感じだろうか。

 

自分としてはしっかりと日々仕事をしているつもりになっていても、所属する組織(まぁ、会社ってことですね)が進もうとしている道から大きく外れてしまっており、一人ぼっちでポツンと歩いていたりする。

 

そんなことにはならないほうがいい。

 

足元の仕事をしっかりと片付けながら、ちゃんと周りを見て、前を見て、先を見て歩んだほうが自分のためでもあるし、会社のためでもある。

 

だからちゃんと顔を上げて周りと前を見て、歩いていかないといけない。

 

足元に注意を払い、躓かないようにすることはもちろん大切だが、それだけではどこかで道に迷ってしまうかもしれない。

 

先を見て歩くことが、仕事をする上でも重要なことだと思う。

アスクとタスク (作業と仕事)

「作業」と「仕事」について書く。

 

これはある意味ビジネスパーソンにとって、永遠のテーマだと思う。

 

最近見かける表現として、自分で仕事を開拓していく内容を「タスク」。他の人から頼まれた仕事を「アスク」と表現するケースをよく見かける。(よくと言っても、僕がたまたま目にしているだけで、世間一般では違うかもしれないけど)

 

この区分けというのは、結構重要だったりするのかもしれないと感じている。

 

「タスク」をしっかりと見極めて取り組んでいくことは「仕事」をしていることになるケースが多いだろうし、「アスク」ばかりをやっているのでは、本当の意味では「作業」しかしていないことになるのだろうと思う。

 

もちろん、結構次元の高い「アスク」も中にはあるので、「他の人から言われたものかどうか」だけd全てを判断するというものではないのだろうけれども、一般的には「アスク」よりも「タスク」の方が価値が高くなるケースが多いと思う。

 

「作業」をこなしつつ「仕事」にしっかりと取り組んでいく。

 

これを考えると、やはり「アスク」よりも「タスク」が重要。

 

だから、しっかりとタスクに取り組んでいけるようにしたい。

 

でも、問題はその「タスク」ってどうやって見つけるの?ということなのかもしれない。

 

自らタスクを見つけられる人は、自然と「仕事」をしていくことになり、見つけられない人は「アスク」ばかりをやり、それに振り回されて1日が終わっていく。

 

「アスク」よりも「タスク」が重要。そしてもっと大事なのは、その「タスク」以下に自分で見つけて作っていけるかということなのかもしれない。

考えることの重要性

仕事をしていく上で、考えることは非常に重要。

毎日会社にいって、なんとなく与えられた役割をこなすだけでは、そこで価値を生み出すことは難しい。というか、役割を淡々と作業としてこなすことは、会社員としては本当に最低限のことである。

 

そんなことに気づかなかった僕は、淡々と作業をこなし続け、気がついたら本当に作業しか出来ない社員になっていた。

 

立ち止まって考えることもなく、日々のタスクをなんとなくこなすことが仕事だと思い込んでいた僕は、「生産性」とか「創造性」なんていう言葉は自分にはほとんど関係ない事柄だと思い込み、単なるタスクをこなしていくことが自分に与えられた仕事だと勘違いしていたのだ。

 

もちろんタスクをこなすことは必要なことだし、それを疎かにしていいわけではない。でも、それだったらアルバイトでも、派遣の外部人材でもいいわけで、社員としてそこにいる以上、そこに留まっていてはいけないのだということに気づきもしなかった。

 

あるとき立ち止まって周りを見回してみると、同期の奴らがなんとなく自分よりも重要そうな役割を与えられており、僕はいつまでたっても簡単そうなタスクばかりをやらされているということに気づいた。

 

この差はなんなんだろう?

 

そう思い始めた、というか考え始めた時が、僕にとっては大きな転機だったのだと思う。

 

そう、考えることが重要。

 

自分の会社員としての役割や立場を見直し、自分の位置について考えてみること。それがスタート地点になる。

 

流されるままに日常を会社の中で過ごすだけでなく、「考える」。これが重要なこと。

「作業」だけでなく「仕事」もあなたの役割です

会社に入って最初に与えられる役割は、ほとんどの場合「作業」をこなす事だと思う。

この「作業」というものは、企業が業務を進めていく上では必要だし、非常に重要な事であることは間違いがなく、決して「作業」を軽んじていいなどということはない。企業が事業を進めていくことは、その中にある無数の作業が効率よく、正しく運営されていることが必要だからだ。

 

ただ、ここで覚えておいてもらいたいのは、「作業」自体を設計したり、組み立てたり、刷新したりする役割も存在していて、全体的な言葉で言うとすれば、それは「仕事」と言われるようなものであり、実はこちらの「仕事」が非常に重要なものだと言うことである。

 

もうここでお気づきだとは思うが、会社に入って本当に社員に求められているのは、この「仕事」をする事である。「仕事」をせずに「作業」ばかりをやる人も非常にたくさんいるが、全員がこの「作業」だけを行なっている状況は良い状態とはいえない。

もちろん逆に、全員が全ての時間を「仕事」だけに費やしていると、実務が全く回らないこととなり、その会社の事業はすぐに崩壊してしまう。

だから、この「作業」と「仕事」は最適な割合で実施され続けていることが必要であり、会社全体の中でそのバランスがうまく保たれている状態を作ることが必要である。

 

最初に書いたように、会社に入って最初に与えられるのは、ほとんどの場合「作業」の内容である。僕自身の話をすると、会社に入ってから数年間、この「作業」だけをこなすことに一生懸命になり、「仕事」と言うのは他の誰かがやるものだと言うふうに自分で勝手に役割を決めつけていた。

そう、与えられた「作業」だけに邁進し、それ以外の「仕事」とい言う部分に関しては自分の役割ではないのだと自分で決めつけ、そこに目を向けることもしていなかった。

 

結論から言うと、これが実は大きな間違いだった。

 

社員に求められている役割をうまく認識できず、求められているものの半分しか実施していなかったと言うのが実態だろう。

 

これでは当然評価されるはずがない。

実に当たり前の結果、僕は大した評価もされずに数年間を過ごすことになる。

 

振り返ると、非常に残念な数年間だった。